399 >>398 公明党が習氏にこだわった背景には支持母体である創価学会と中国の関係がある。国交正常化する前の1968年、公明党創設者でもある池田大作会長(当時)が日中国交正常化を提唱した。 72年には公明党の竹入義勝委員長が訪中して周恩来首相と会った。その2カ月後、田中角栄、周両首相が日中共同声明に署名して国交が正常化した。池田氏自身も74年に周氏と会談した。中国は公明党を対日関係の重要なパイプと位置づけてきた。 山口氏は2009年の代表就任後、訪中するのは7回目となる。このうち17年までの4回は習氏と会った。沖縄県・尖閣諸島の国有化直後で日中関係が戦後最悪と言われた13年も会談は実現した。 与党の代表とはいえ政府のトップではない立場の人物と習氏が会うこと自体が珍しい。公明党が独自外交の力を示す意味があった。 一方で、公明党が自民党と連立を組み、中国が大国になるにつれて溝は広がった。自公両党の協議によって集団的自衛権の限定行使を認めた安全保障法制が成立した15年、中国共産党内では公明党への批判が強まった。 匿名さん2023/11/24 00:15