164 日常生活が繰り返される中で、 私たちはしばしばその価値、有り難みを忘れがちです。 ですが、普段当たり前だと思っていることへの感謝の心を忘れてはいけません。 私自身、特に昨年の秋から新年にかけて、このことを深く実感しました。 昨秋、いつも元気でいてくれた大好きな祖父が亡くなり、祖父の存在が私の日常にとってどれほど大きな意味を持っていたかを痛感しました。 また、正月に起きた能登半島の地震を目の当たりにして、以前東日本大震災で被災した私の実家を思い出しました。ニュースやSNSで見た被災地の人々の変わり果てた日常は、私に平穏に過ごせる現在への感謝を改めて思い起こさせました。 どんなに平凡な日常であっても、そこには確かに小さな幸せが存在しています。日々の幸せを感じ取る感度を高め、それぞれの瞬間に感謝することが、穏やかな心で過ごすために重要です。 匿名さん2024/09/12 12:35
165 心を水の入った植木鉢にイメージするとわかりやすいですね。 心のせまい人はちっちゃい植木鉢なんです。水が入るとすぐ水面が波立っちゃう、 反射した波が干渉しあっていつまでも波が消えないんです。 鉢の周りにじゃばじゃば水が飛び散っちゃう。 心の広い人は大きい植木鉢なんです。 水が入ってきても、波紋が広がって自然に無くなっちゃう。吸収できちゃうんですね、石をドボンと投げ入れられても、植木鉢の外に水を飛び散らせないんです。 水面がとても広いですからね。 あと、植木鉢ですから底に穴が開いてます。大きい植木鉢は穴も大きいのです。 だからどんどん底にたまったものを捨てちゃえるんです。どんどん新しい水を受け入られるのです。 ちっちゃい植木鉢は、ゴミがたまっちゃうんです。ためられる水はだんだん少なくなっていって、あふれたり、詰まって水がよどんだりしてしまいます。 手のひらサイズの植木鉢も、がんばれば海のような植木鉢になれるはず。 匿名さん2024/09/12 12:45
166 心を水の入った植木鉢にイメージするとわかりやすいですね。 心のせまい人はちっちゃい植木鉢なんです。水が入るとすぐ水面が波立っちゃう、 反射した波が干渉しあっていつまでも波が消えないんです。 鉢の周りにじゃばじゃば水が飛び散っちゃう。 心の広い人は大きい植木鉢なんです。 水が入ってきても、波紋が広がって自然に無くなっちゃう。吸収できちゃうんですね、石をドボンと投げ入れられても、植木鉢の外に水を飛び散らせないんです。 水面がとても広いですからね。 あと、植木鉢ですから底に穴が開いてます。大きい植木鉢は穴も大きいのです。 だからどんどん底にたまったものを捨てちゃえるんです。どんどん新しい水を受け入られるのです。 ちっちゃい植木鉢は、ゴミがたまっちゃうんです。ためられる水はだんだん少なくなっていって、あふれたり、詰まって水がよどんだりしてしまいます。 手のひらサイズの植木鉢も、がんばれば海のような植木鉢になれるはず。 匿名さん2024/09/12 12:46
167 器が大きいと、何でも理解して受け入れようとします。 考え方や意見が違ったら、まず聞きます。 そして、そういう考え方もあるのかと納得し自分にも取り入れたりします。 だからあんまり怒らないんじゃないですかね〜? 器が小さいと、理解しないし受け入れない。 考え方や意見が違ったら、その人に間違ってると攻撃したり突っぱねます。 聞こうともしないとか・・・ だから何でもすぐ怒ると思うのですが・・・ ようするに経験不足ですね。 匿名さん2024/09/12 12:48
168 >>158 私たちの日常のなかで使う「ととのえる」という言葉を考える上で思い浮かぶのが、「整える」と「調える」というふたつの行動です。 例えば自宅の中を整理整頓し、静かな読書スペースを設けて自分だけの落ち着ける場所や時間を生み出すことで生活全体に秩序と安らぎをもたらします。この「整える」という行為は、物理的な空間のみならず心の中にも穏やかで集中できるスペースを作ることに繋がり、インスピレーションが湧くという新たな原動力をも生み出す可能性を秘めている行為なのです。 また、日常の中では物事がスムーズにいくよう段取りを考えまとめていくことも必要です。心に引っかかりのあった出来事が「調う」ことで安心感が生まれ穏やかな自分でいられます。これは、物事を順序良く配置する以上の効果をもたらすはずです。 匿名さん2024/09/12 13:11