むしろ保利を通じて田中の肚を知り その内容如何で
― それを契機に田中と訣別する。
というのが実は福田の本当の気持ちだった。
そうした福田の真意までは保利にはわからなかった。
― 角福調整が自分の役目だ。
といった責任感から その日 閣議が終わったあと 保利は二階堂官房長官に声をかけた。
「総理と二人だけで話があるんだが……都合のいいとき連絡してもらえんだろうか」
田中の連絡で保利が二人だけの会談の時間を得たのは10日夜であった。場所は赤坂の千代新だった。
田中は彼なりの参院選敗北の分析をならべたてた。しばらくのあいだ保利は聞き役に廻った。田中の話が途切れたところで
「実は……アドバイスしたいことがあるんだ」と切り出した。
「その参院選についてだが、総理としてはどうやって反省の実をあげるか……だ。内閣改造も役員改選もなしですますんでは 反省の実があるとはいえないのではないかね」
「改造、改選、やはりやらねばいかんかなァ」
田中は吐息をついた。保利は
「当然さ、やらなければ党内は騒然となる」と冷たくいい放った。田中は急に声を落とした。
「それが……踏ん切れんのだ。この気持ちはわかるだろう？」

田中はそういった。保利にもそれは飲み込めた。
― 内閣改造は昨年11月に行なったばかりで まだ十か月もたっていない。それを閣僚の首のすげ替えは気の毒だ。橋本君の幹事長更迭も情において忍び難い……角さんは人情論で改造、改選を避けようとしている。
保利はうなずきながらも
「このさい情にとらわれてはいかんよ。それと改造のさい中堅、若手を起用することだ。それで国民にフレッシュなイメージを与える。党内の若い連中の励みにもなる」
「若手起用はいつも考えてきた。しかし……なァ、これと思う連中は右に15度、左に15度と左右にずれていて 起用したら批判が出る」
保利は苦笑した。若手の逸材のあるものはニューライトとして左に15度、青嵐会として右に15度 思想的に偏っている。左を起用すれば右が反発し 右を起用すれば左が反発することは間違いない。また田中内閣自体が「左に寄った」とか「右に寄った」とかいわれもするだろう。
「しかし今はそんなことをいっておられんよ。改造、改選を真剣に考えるべきときだ。そのために福田、大平、三木、中曽根君と会って協力を要請すること……そこからはじめるべきだ」

いちおう田中は保利の忠告に従った。しかしまだ改造、改選までの決心がつかなかった田中は この四人の実力者と個別には会わなかった。
官邸に三木副総理、福田蔵相、大平外相、中曽根通産相とを同時に招いた上で 田中は
「参院選敗北……あとの政局多難が予想されるので どうか協力をお願いしたい」と頭をさげた。
大平、中曽根は田中体制維持で問題はなかった。三木、福田はこの上なく不満だった。
― なぜ個別に会って充分に意見を聴こうとしないのか。
という憤懣さえ抱いた。それは三木派、福田派の田中に対する憤激にまで昂まっていった。

たしかに自民党内は騒然としはじめた。徳島では後藤田を公認に推し上げた県議28人が
「敗退の責任をとって執行部は全員総辞職する」という決定をした。
北海道では青嵐会の中川一郎がむりやり無所属を押し出し現職二人と共倒れ。道連会長の篠田弘作以下 役員が総辞職することになった。
本部では橋本幹事長の指示で木内四郎を委員長とする党紀委員会が開かれ
「中川一郎大蔵政務次官の処分」が論じられた。青嵐会は
「処分反対！」の気勢をあげ
「北海道を処分するなら徳島はどうするのだ」という意見も出てきた。

そうした中で三木派の総会が麹町の事務所で開かれたのは すでに参院選が終わって四日経過した11日であった。中堅の海部俊樹、塩谷一夫などが発言の口火を切った。
「今度の参議院選挙の闘いのあり方 あるいは結果をみて まことに党総体としては憂慮に耐えない。あるいは自民党そのものが国民の信を失った結果ではないのか。われわれは謙虚に受けとめて反省すべき時に来ている」というのが総体の結論だった。
三木派はその派閥の性格から生真面目な政策マンが多い。塩谷などは生一本な人間なだけに
「とにかく なりふりかまわず金を使っても勝ってみせるといったやり方が国民の不信を招いた。このままでは来春の統一地方選挙、次に予想される総選挙も闘えない」と そんな悲観論を述べた。
なかには血気にはやる若手もいた。彼らはなお徳島選挙に怒りを燃やしつづけ
「三木派の中にも久次米に冷淡だった連中がいる」といい始めた。
なるほど石田博英などは久次米応援に消極的だった。若い連中の批判に つい三木もひき込まれて
「石田君が久次米君に冷淡だったのは きわめて残念だった」と漏らした。
石田は憮然とした表情で うそぶくようにこういった。

「党が公認として決めた候補を応援する。非公認と決めた候補を応援しない。党の筋を守っただけだ」
石田はその巨体をゆすり上げるように立ち上がった。三木の顔も だれの顔も見ることなく その会議の席を出ていってしまった。後に白々しい空気が残った。三木は心中では
― 久次米が勝ったあと いまさら問題にせんでもよかった。いい過ぎたか。
という後悔の色があった。しかしそういった三木の心理など無視して 若手たちは石田が去ったのをさいわい強硬論を打ち出した。
「久次米を応援しなかった連中は三木派から出て行ってもらおう」
「このさい橋本幹事長以下党執行部に公認問題の失敗、敗北の責任をとって辞めてもらうように要求すべきではないか。そこから始めないと党の改革も近代化も出来ない」
空気はいっそう激しく よりラジカルな意見も出された。
「三木副総理自体、その進退を考えてもらいたい」あからさまに田中内閣を去れとはいわないまでも それを求める声であった。
三木はいちいちうなずくような表情で耳を傾けていた。多くの意見を闘わせた後で井出一太郎が
「わが派としていかに行動するかは この際 三木先生に一任しましょう」といった。

これを受けて三木は最後にこう述べた。
「今日のような重大事態を迎えたということは かねて党近代化を唱えてきた私自身にも責任があると思う。敢えて だれが悪い 彼が悪いという性格のものではない。全党的な また国民としての立場に立って 自民党の将来について自分は考えるところがある。私なりの結論が出たならば みなさんに協力をお願いしたい」
この短い三木の挨拶の中から
― 三木さんは辞任を決意したのではないか。
という観測を強めた人たちが多かった。
それだけにその夜 三木邸には三木派の首脳、若手たちが何人か集まった。また担当記者たちも
― 三木はどのような結論を出すのか。
という関心からそこに集まってきた。これらの人々を前に 三木はいつもと変わらない様子で雑談を交わしていた。夜が更けるにつれて一人去り 二人去りして 最後に残ったのは三木の義弟の森美秀であった。
「いよいよ辞表を出す決意を固めたんですか」と ざっくばらんに問いかけた。三木は穏やかな語調で
「それ以外に何か他の方法があるかね」と尋ねた。
「他にないとはいえませんが最後の断は義兄さんが下すところですから とやかくいう筋ではないでしょう」

そういいながらも森としては 先行きの三木派の行方を憂慮しないわけにはいかなかった。
― 三木派は鳩山、石橋内閣の時代には主流派の地位を保っていた。しかし岸内閣以降 多くの場合 三木は反主流派であった。これまではそれでも三木は有力な総裁候補とされていたので 三木派の中でも歯を食いしばっても耐え抜いていこうという気迫があった。
だが今日、三木が副総理のポストを降りて反主流になった後、おそらく三木派はもう再び主流を占める機会はないのではないか。そうなれば おいおい三木派は細っていってしまう。三木自身清潔な政治家、党近代化を志す政治家として晩節は全うできたとしても 現役政治家としては侘しい存在になってしまうのではないか……。
さすがに義弟であるだけに 森は三木派と三木の今後について憂慮するところ大きかった。
そういった森の心底は三木にもよく読めるところであった。三木は森だけでなく みずからにもいい聞かせるような口調でこういった。
「美秀君、君が何を考えているかは よく分かっているよ。わが派の幹部もぼくが副総理の座を去ったら いつまた陽の目を見るかわからないと心配している人も多いかと思う。

>>000
ド〜デモイイデスヨ♪

だがいまのぼくは そうしたことは考えたくないんだ。将来の算盤を弾いてみれば 閣僚を辞めることが損とか得とか いずれにしても好ましい結論は出てこないだろうと思う。しかしたったいま政治家としての節を全うするということだけを考えてみれば 自分が内閣を去って党の近代化に努める以外 結論はないはずだ。今度こそ本当に自分の手で党改革をやってみたい。将来 保守党の歴史の上に金字塔として残されるくらいの仕事をしてみたいんだ。これは総理総裁を狙うとか 副総理のポストを失いたくないとかいう損得ずくめの計算を離れたことなんだ。政治家というものは 時としてそうしたものを全く離れた純粋な考え方をし 行動をしなければならないこともあるんだよ」
森が帰ったあと― もう0時近い時間であった。三木は福田に電話を入れた。
「明日……ぼくは辞表を出す」
淡々とした語調だった。
「そうか……」
福田は声を詰まらせた。きたるべき場面がきたという緊張からだった。その脳裏には目まぐるしく
― そのあと自分はどう出るべきか。
それにまつわる幾つかの場面が浮かび上がっては消えた。
派閥総会で下野を唱える若手たち。
田中の慰留。
騒ぎ回る記者たち。

福田は三木にこういった。
「おたがいに所信に向かって邁進だな。が こんご同志として一緒にやっていくつもりだ」
「そうしよう」
それだけいって三木は電話を切った。福田はしばらく受話器を握ったままでいた。
― わしも辞任だ。慰留されて残っては 三木以下に男がさがる。三木との連携も毀れる。それにいま田中に協力したところでなんのプラスがあるというのか。どうせ田中は後継者として大平を選ぶつもりでいるのだ。
― 三福連携で田中と闘い 総理総裁の椅子を勝ち取る。それ以外には途はあるまい。

明けて12日朝、三木はもう一度 福田に電話をかけた。
「これから目白に出かける」
「あとに続くよ」と福田は答えた。
そのあと三木は秘書に命じて 目白の田中邸に連絡させた。
「これからお伺いしたいのですが 総理のご都合は……？」
田中は秘書を通じて
「お待ちする」と答えてきた。時間はまだ朝早く 7時を過ぎた時刻であった。
三木の車が田中邸に滑り込んだのは午前7時半である。辞任を決意した三木の表情は ややこわばっていた。
その三木を応接間に招じ入れた田中は
― 辞意表明か……。
と むしろ観念した面持ちであった。