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「保利は、党は絶対に割ってはいけない。資金が大切だという考えであった」
私は大平が淡々と話してゆくのをききつつ、ひどく真剣な思いになっていった。これで大福提携は実現したな、と思ったからだ。夏の盛りの8月22日、福田と会った日のことを私はすぐ思い出した。あの時、私は福田が総理総裁になることを再確認したのだが「二年の時間を限って」という言葉はどうしても福田にはいえなかった。それをこの政治のプロ (保利茂) はみごとに埋めてくれたな、と思って「さすがは策士だ」と感じたし同時に「大福の間の動きによく気がついたな」と驚いた。
大平は保利との話を披露しつつ、派閥解消の順序や解消後のあとの姿など色々に話しかけてきた。
これからの派閥は公開 (オープン) 、純潔 (ピュリティ) 、連帯 (ソリダリティ) のO・P・Sの三つの頭文字だ、など話し合って私は妙に興奮した。
三日たった10月13日、読売新聞の朝刊に政局記事が載った。政権の受け皿問題を報道したもので、自民党の抗争の中から「福田総理総裁、大平幹事長の線が浮かんできた」という内容のものであった。新聞もやっと追っかけてきたのだ。
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大平は派閥を解消してこれを政策集団に改めようと考え始める。「世話人を選ぼう。秋から冬にかけてじりじりと自然にもってゆこう。ギラつくと三木派は高射砲で狙ってくる」といいだした。
挙党協は相変わらず三木降ろしのための臨時党大会待望だった。三木がもし任期満了解散の事実を述べたら議員の選挙心理に火がつきかねない。私は当分の間「匍匐前進すべきだ」と大平に説いた。
10月16日の夜、私は福田副総理によばれて野沢の私邸を訪ねた。
「大平君とは20日に京浜ホテルで会うことになった。大平君は鈴木善幸をつれてくるというので おれは園田直をつれてゆく。ブーちゃん、君もこないか」
福田はそういった。私はこの提案の趣旨が判らなかった。ことに鈴木、園田の二人が来ることにひっかかった。政治家同士の会合には私は出るべきではないのだ。
福田は
「それじゃおれと大平君の二人だけの会談に立ち会ってくれ」という。私は〈議員バッジをもっている人たちの中に入りたくはない〉と思って固辞した。福田は
「今後の構想も考えたい」
といって執拗なほど出席を勧めた。私は
「それでは出席の代議士の人たちが死んでしまいます」
といってはっきり断った。
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たとえその時は判らなくても〈鈴木や園田は後で必ず私のことを気付くものだ〉と心中思っていたのだ。
後に これが大福間の政権授受を決めた会談になろうとは、当時の私は夢にも思わなかった。
「京浜ホテルの会合」に「保利が立ち会った」ことはすぐ後で大平から聞いた。だから会談の内容について私は直接見聞きはしていない。ただ大平と保利との「ゴルフ会談」から推測がつくだけである。
翌日の10月17日、朝刊各紙は一面トップに「福田一本化」を報じた。挙党協の働きで福田が総裁候補者に決定した、というのだ。昨日の夜、福田から「鈴木と園田が新聞社に流した」と聞かされていたので私は別に驚きはしなかった。
10月19日に大平に会うと
「福田は副総理をやめるべきかどうかを、おれに考えてくれといっている。おれのこと (蔵相辞任) も含めて考えてほしい」
といった。私はすぐに返事をしようと思ったが、いったん預かって考えることにした。
10月20日午後3時、挙党協の最高幹部、椎名、保利、船田の三人と福田、大平が会談した。
挙党協側は党大会に福田を総裁候補者として立候補させ、三木との対決により総裁を更迭させようと考えていた。
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これが三木降ろしだ。だから臨時党大会は当然に人事党大会であった。ところが大平はこれを一人でぶち毀してしまう。
「われわれは既に事実上、総選挙に突入している。党員たちは肌でこれを知っているはずだ。有権者の前で三木総裁を更迭するため福田氏を立候補させるのは、福田氏に対して非礼にならないか。これは挙党協のために福田氏を道具として使おうというに等しい」
「われわれは人事党大会の旗を降ろすべきだ。このことを船田、保利氏から内田幹事長に申し入れておくがいい」
二日ほど後で大平にきくと、この時
「椎名は真っ赤になって怒った」という。「それじゃ三木降ろしはどうなるのか」というのだ。これは椎名としては当然の怒りだ。大方の挙党協幹部はそうであっただろう。だが「大平は反論もしなかった」という。
「西村はおれのいう意味が半分も判らなかった。保利が一番よく判った」
と大平は私に語った。公選法第31条を知った大平は、政局の帰趨を見極め 議員心理の動向を判断した上、解散前の三木降ろしを完全に捨ててしまったのだ。これで挙党協の急進論は大平によって文字通り「ひねられて」しまった。
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「よくやりましたね」
と私がいうと大平は
「お前さんがそうやれといったじゃないか」
といった。一瞬 私は戸惑った。私はそんなことをいった覚えはない。私は選挙の日どりを伝えただけだった。
「ともかくもあなたはやり通しました」
私はそういうより外はなかった。議員心理を洞察してこれほど明確に政治的行動を決したことは大平にとっても初めてのことだったろう。
「挙党協は解散しないことにした。明日の総会で福田が10分か20分 挨拶すればよい」
「総会に人が集まりますかね」
「集まっても集まらなくてもいいじゃないか」
挙党協総会に代議士の集まりが悪ければ 三木派に笑われると私は心配したのだが、大平はそんなことには完全に囚われていなかった。
〈大平は成長したな〉と私は内心そう思った。荒川の金子先生が「大平さんはきつくなりましたね。シャンとしたものができました」といったのを私は思い出していた。
この20日夕方6時から京浜ホテルで大福、保利、鈴木、園田の会談があった。
数日後、私が大平にこの日の会談の様子をきくと「保利が大平、福田の前で『福田は二年で』と述べた」といった。私はこれ以上 深入りはしなかった。
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これらの順序を経て10月21日、福田は挙党協総会で挨拶をした。これは総選挙後の首班指名では福田が党の代表者であることを宣言したものであった。
政局は はっきり解散・総選挙へ向かって日に日に流れを速めていた。誰いうともなく選挙への動きが始まって、静かではあったが止めようもないものとなっていった。
10月29日、私が瀬田の大平邸を訪ねると、訪問客の顔ぶれが一変しているのに気がついた。領袖政治家の家はおもしろいもので 選挙気構え (政治季節の変動) を来客の顔ぶれによってはっきり示すものだ。
「党大会は流すことにしたよ。福田に譲ったことに財界は評価していた。宏池会では浦野幸男労相と田沢吉郎の二人が、なぜ譲るのかと反対した」
と大平は語った。
党大会が予定された前日、10月30日に大平に会うと
「明日の党大会が流会になったことを船田が恐縮して電話してきた。保利にはおれから電話したら彼も恐縮していた」
といった。大平の予見した通り 代議士たちは党大会出席どころではなく、競って選挙区に帰り東京には誰もいないのだ。
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大平が十日前「人事党大会の旗を降ろす」といって方向を決めなければ福田はもちろん、挙党協の幹部は大恥をかくところであった。
「三木首相が改造を行い、13人の閣僚を更迭した。この人々はもし福田にならなければ無駄死にになってしまう。この思いが福田と大平の順序をきめる働きとなり、保利・大平会談に繋がったのだ。そこから福田一本化になった」
大平は淡々として話した。この日、先に大福が招待した13閣僚が、今度は自分たちが大福二人を招くことになっていた。
「この会食も非公開の方がいいのだがな」と大平は呟いた。
この日午後、私は福田副総理によばれて経企庁長官室に出かけた。
「三木は解散するつもりだった。だが陛下の御在位五十年祝典式があるためできなくなってしまった」
と福田は語った。
式典は内閣の主催で11月10日に武道館で行われる予定だった。もしそれまでに解散してしまうと衆議院議員は全部、前代議士となり衆院議長も不在となってしまう。「解散は陛下のお祝いを政治に巻き込むことになる」と見られていたのだ。
「おれは閣僚をやめたいが、ブーちゃん、どう思う」
「よく考えてみます」
私はやっと福田がよんだ意味が判った。
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そういえば大平もこのことを「私に考えてくれ」といったことがあった。
「だが大平はやめるつもりはありませんよ」
私は即座に福田にいってしまった。
「よく考えて大平君とも相談してくれ」
「あす党大会がある日ですが流れてしまいました。明日おやめになるわけでもないと思いますのでよく考えます」
私はそういって別れた。ところが二日後の11月1日、福田副総理からまた電話があった。
「三木が解散する可能性がある。このとき署名を拒否して閣外に出たい。どうすべきか考えてほしい」
福田はそういった。〈何かあったな〉と私は思った。
その日 私は荒川へ参拝してよく御祈念した。
〈福田は挙党協に推されて後継総裁の候補者になった。だから閣外に去ってもいい。大平はそうではない。閣内にあって政務につとめつつ選挙を闘えばよい〉
私はすっきりこう思えた。
翌日の11月2日、私は大平と会った。
大平は福田と同じことを私に質問した。私は大平の見ている前で荒川に電話した。
「福田は閣外に去ることで去就を明らかにすべきだ。大平は閣内で闘ってよい。あなたの考え方でいい」
金子先生は明確にそういってくれた。大平は無表情に聞いていた。
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朝鮮人の尻を舐めるバカって居るんだね。
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大平はそうするつもりだなと私には判った。
この日の午後、福田からの電話があったので私は再び経企庁長官室に出かけた。私は大平に話したと同じことを福田に述べた。
福田は既にこのことを承知していて
「これはブーちゃんが神様と相談しての結論だ。私を信用してくれ、と大平はいっている」
といった。私は福田に
「大平は新しい政治勢力の結集を考えている。これが大福の提携だ。われわれは福田さん、あなたを頭にして新しい保守党を作ろうと思っているのですよ。政権がとれてもとれなくてもいい、と決心している」
と話した。こんなことを私はいうつもりはこの時までなかったのだが、すらすらといってしまった。すると福田は
「わかった」
と一言いった。
〈これで一切はきまったな〉と私は思った。
福田が何を心配していたのかは判らない。だが大平が福田と行を共にして閣外に去らなかったことに一抹の不安を感じていたことは明らかだ。前回の改造の時、福田が「閣内に留まれ」といったのに対し「直前まで入らぬといい、直後に入閣した」ことが福田の考えに反映していたのかもしれない。
三木は解散しようと思えばできないことはなかった。
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