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うちの猫がいちばんかわいい-5
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猫の親バカスレ
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これを読んで即座に浮かんだのが、宮沢賢治の言葉だ。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
両者に共通しているテーマは明らかだろう。個人と集団(共同体)との関係。宮沢賢治を敬愛した評論家吉本隆明の『共同幻想論』は、まさにそこを理論化して結実した著作だ。
ここでも尾崎とのつながりは途絶えない。尾崎と吉本を結んだのが音楽プロデューサーの須藤晃だった。
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後編
4月25日は、「卒業」「十七歳の地図」などの名曲で80年代に熱狂的なファンを醸成したロック歌手尾崎豊の31回忌だ。
死後30年が過ぎてなお支持される尾崎だが、最近ではTikTok上で、「15の夜」の中盤「盗んだバイクで〜」のくだりをTikTokerが踊る投稿が中高生の間でバズるという現象も話題になっている。
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浜田省吾の名プロデューサーが担当
尾崎と吉本隆明を結んだ音楽プロデューサー、須藤晃は、東京大学を出てCBS・ソニー(当時)に入り、尾崎が好きだった浜田省吾らをプロデュースしてきた。尾崎がまだ16歳の時オーディションを受けた同社で、須藤が尾崎担当となったことが、尾崎の将来を方向づけた。
須藤は当初、尾崎の「まるで人生を悟ったかのような硬直した詞が気に入らなかった」(『尾崎豊覚え書き』)。
私には、父から学んだ短歌や勉強に励む兄の姿、そして家族で食卓を囲みながら、口角泡を飛ばし哲学を語り合う尾崎家の様子が目に浮かぶ。尾崎はそれらをバックボーンに作詞したに違いない。その証拠に、ファーストアルバムの歌詞中4曲で、「体」の字のかわりに、父に教わった躰道の「躰」を使っている。
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自分自身を見つめさせるため、須藤は音楽の話はあまりせずに尾崎の日常を訊いた。
「今どんな本読んでいるの?」と聞くと、カバンからエーリッヒ・フロムの『愛するということ』を取り出し」た。(同書)
フロムは新フロイト学派の精神分析家、社会学者だ。1956年に書かれた「愛するということ」は恋愛のハウツー本ではなく、「愛は『成熟した大人』だけが経験できるものであり、本当の愛を体験するためには、愛とはいかなるものかを深く学び、愛するための技術を習得する必要がある」ことをしめした哲学書だ。「『愛される』ことよりも『愛する』ことのほうがずっと重要」と説く人生の指南書でもある(鈴木晶『フロム 愛するということ(100分de名著)』(2014年、NHK出版刊)。
私も法学部時代、尾崎の兄と机を並べたかもしれぬ講義室で、フロムの著書『自由からの逃走』を読んでいた。
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全曲の歌詞中「自由」は30回、「愛」は182回
尾崎は斃れるまでに6枚のオリジナルアルバム計71曲を紡いだ。メロディーより「詞先」と呼ばれるほど過剰な歌詞を分析した下河辺美知子によると、全曲中「自由」は30回、「愛」は182回出てくる。
「愛」は尾崎にとって終生離れられぬテーマとなった。
強烈な上昇志向を持ち、常に自分を変革したいと願う尾崎にとって、13歳年上の教養人須藤はかっこうの教師だった。須藤は尾崎に、のちにノーベル文学賞を獲るボブ・ディランの詩や、ギンズバーグ、ヘッセ、ジャック・ロンドンらの本を薦めた。その中に、吉本隆明があったという。
アルバム「誕生」の冒頭で歌う「LOVE WAY」の♪真実なんてそれは共同条理の原理の嘘♪は、明らかに吉本の『共同幻想論』の影響を受けており、難解だ。
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音楽雑誌で「尾崎版『氷の世界』を目指したような曲」と評されたこともあるが、須藤との対談で尾崎は「本当のことを知ってる人が普通の恰好で同じことを歌った」と語る。「本質を客観的にみてごらん」という気持ちがあったという。だが、その言葉は若者世代に届いたとは言い難い。
尾崎の死の2年後、吉本は女性史研究家の山下悦子とともに、尾崎の父と対談している。
吉本はそこで尾崎を「明らかに言葉の人」で「本格的な評価をしないといけない」とし、「まったく違うようにみえても中島みゆきという人にとてもよく似ている」と印象を語っている。
これを読んで、震えた。全く同じことを私も考えていたからだ。
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「I LOVE YOU」か「OH MY LITTLE GIRL」か、それとも「15の夜」か
尾崎豊の代表曲は何か?という陳腐だが逃せないアンケートが何回かあった。
「I LOVE YOU」や「OH MY LITTLE GIRL」といったバラードの名曲か、キーワード♪盗んだバイクで走り出す♪の「15の夜」、あるいは♪夜の校舎 窓ガラス壊してまわった♪の「卒業」が定番だ。
尾崎のプロデューサーだった須藤晃は「卒業」を、中島みゆきの「時代」とともに後世に残る作品と評価した。とくに「卒業」は体制に対するプロテスト・ソングではなく、内省的なエレジーだったとエッセイに書いた(「Pen」5月1・15日GW合併・特集「尾崎豊、アイラブユー」 2019年475号「孤独の遺産」より)。同感である。以下、私も精神科医として中島の「あした」、尾崎の「シェリー」などをもとに考えてみたい。
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俳優の吉岡秀隆は尾崎の曲「シェリー」を聴くやいなや、電撃が走ったという。尾崎の晩年、5歳上の尾崎を兄として慕い、追悼式では弔辞を述べる関係だった。
私も同じクチ、である。尾崎のデビュー時には夜討ち朝駆け取材に明け暮れ、よいリスナーではなかった私は、弟から教わった尾崎の曲を聴くうちに虜(とりこ)になった。とくに、「シェリー」。
♪シェリー みしらぬところで 人に出会ったらどうすりゃいいかい
シェリー 俺ははぐれ者だから おまえみたいにうまく笑えやしない♪
精神科医で歌手のきたやまおさむは、著書『帰れないヨッパライたちへ 生きるための深層心理学』の中で、この詞にふれている。
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「彼は世界中が自分のことについてしゃべっているようだけど、いいことばかりは言っていないなと感じたときに、恐怖を感じるような対人恐怖症的心性、あるいは被害妄想的心性を経験したのではないか」
無防備で不特定多数の人前に立つシンガーのような職業人は、人工的なナルシシストや職業的な二重人格者になる、ときたやまは分析する。
覚醒剤でやつれる尾崎を支えた妻の繁美は、著書『親愛なる遥(とお)いあなたへ 尾崎豊と分けあった日々』(1998年、東京書籍刊)で尾崎の幻覚妄想などを再現した。
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「孤独なニューヨークの街から精神的にダメージを受けたのかもしれない。だから薬に手を出し、彼が抱えているすべての悩みから解き放たれたかったのだろう」
繁美が浮気をしたと疑って何度も殴り、鏡を見て歯磨きをする妻に「もうひとりの自分に向かって何を話していたんだ!」と怒鳴る尾崎の目は完全にすわっていた。
1988年の東京ドームコンサートの1週間ほど前、急に「キャンセルする」と言い出し、「覚醒された世界から」妻を見つめた。かと思うと2日で現実の世界に戻り、リハーサルで声を枯らした。
ところがまた前夜、「喉に悪いよ」と繁美が止めるのも聞かず、「どうせ明日はキャンセル」と冷蔵庫のキムチを平らげた。
私は今、その東京ドームライブ2枚組CDを手元のラジカセで聴きながら、この原稿を書いている。なんということだ。
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