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うちの猫がいちばんかわいい-5

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猫の親バカスレ

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>>4
>僕を一人立ちにさせた父よ

しろよ、一人立ち。

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私の主治医は初診当時、私を診るなり熱く尾崎豊について語り始めた

私の診断は「境界性パーソナリティー障害」「ADHD」だからだ

主治医にとって特別な想い入れのある尾崎豊と全く同じ

主治医が書いた【Fordes】の特集記事

主治医は先日診療時間外に3時間も私に時間を割いてある提案をしてきた

その提案はまだ明かさない

私が言いたいことはただ一つ

お前ら私に近づくな

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桜散る春。4月25日は「卒業」「十七歳の地図」などの名曲で80年代に熱狂的なファンを醸成し、今なお支持され続けるロック歌手、尾崎豊の没後30年──

この4月に民法と少年法が改正され、成人年齢が20歳から18歳に引き下げられた。その18歳で音楽界にデビューしたのが、OZAKIだった。高校をドロップアウトした若者がTシャツ、ジーンズ姿で歌う自由への渇望と愛の追求は、わずか9年で終止符が打たれた。

この文章は、少年と大人の、正常と異常の「境界」を駆け抜けたアーティスト尾崎豊への、4歳年上の精神科医からのオマージュである(以下、登場人物は敬称を略させていただく)。

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筆まめで趣味多彩、信仰心篤かった父

1965(昭和40)年11月29日、東京・世田谷の自衛隊中央病院で尾崎豊は生まれた。大正生まれの父健一は陸上自衛隊事務官。母絹江は父と同郷(岐阜・高山)の、人付き合いの好きな俳句をたしなむ女性だった。

健一は地元の実業学校を卒業後、営林署に勤めた。終戦直前に父(豊の祖父)を亡くし、戦後一級建築士になりたいと上京、夜間大学に通いながら職を転々とした後、発足直後の自衛隊に入り、定年まで勤め上げた。入隊後に絹江と結婚、長男康と5歳下の二男豊を授かる。

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特筆すべきは健一の筆まめだろう。豊が満2歳の元旦から父は日記をつけ始めた。自身の日記は若い頃からつけてきたが、豊と康の視点から、3冊を同時に書いている。

豊は蝶が嫌いで水が苦手。2歳から保育園で「ブルー・シャトウ」の替え歌を♪森トンカツ、泉ニンニク♪と歌った。――豊の高校合格までつづいたこの日記がのちに、夭逝した彼の人となりを追うのに役立とうとは、当時父は夢にも思わなかっただろう。

健一は公務員という枠だけでは語れない人だった。仕事と並行して税理士や司法書士の勉強をし、最終的には社会保険労務士の資格を取り、豊が晩年に音楽事務所を立ち上げた際、手伝っている。

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趣味も多彩だった。短歌に尺八、琴。若い頃はバイオリンを習いたがった。空手の流派である躰道(たいどう)は自衛隊に勤めた関係で始めたようで、豊にも小学2年のころから教えた。「文武両道」がモットーだったが、「育児にかんしてはむしろ放任主義だった」と日記で振り返っている。

信仰心の篤い仏教徒でもあった。豊が1歳の時に妻絹江が髄膜炎で生死をさまよい、妻の信仰する宗教に帰依した。以来、尾崎家の朝は題目のお勤めで始まり、豊も唱題して育った。

後年、コンサートステージに上がる前、豊は数珠を握りしめて心落ち着かせたという。

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「氷の世界」「無縁坂」をつま弾いた小学生時代

こうした父をもつ豊が音楽に目覚めたのは1976(昭和51)年、小学5年の時。東京・練馬から埼玉県朝霞市に引っ越した。転校先でいじめられ、不登校の時期もあった豊に、女性担任がギターを弾いてくれた。学校を休んだとき、両親が共働きのため誰もいない自宅で、兄のギターを押し入れから引っ張り出し、井上陽水の「氷の世界」や、さだまさしの「無縁坂」などをつま弾いた。

その後、中学では転校前の練馬に越境通学し、かつての悪友たちと行動を共にした。中2の秋、友達が教師に叱られ、坊主頭にされて家出したのを深夜までつきあった。この事件がデビューアルバム「十七歳の地図」に収められた「15の夜」の歌詞につながっていく。

ここで豊の兄、康のことにも言及しておきたい。康と私には、あるつながりがあった。

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「俺と同級生じゃねえか!」

1960(昭和35)年、尾崎家の長男として康は東京で生まれた。

父健一によると、一発型の豊と違い、コツコツ型の康は「毎日ハチマキをして夜中の二時まで(勉強を)やったので、中学では一番」だった。それが高校では「素行が悪く、あまり家に帰らなくなり、職員会議が7回も開かれ」たようだ。(見崎鉄『盗んだバイクと壊れたガラス 尾崎豊の歌詞論』)。

1年浪人した康は早稲田大学法学部に入学。裁判所書記官を勤めた後、学習塾講師となり、現在は弁護士として活躍している。

本稿を書くにあたり、私は尾崎豊関連書物を50冊ほど買い込み、「Rock’n Roll」と落書きされ黒光りする机の写真を載せた『尾崎豊 永遠の愛と孤独』などを読み込んだ。
そのなかの一冊、康の『弟尾崎豊の愛と死と』を読んで、慄然とした。

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兄の視線から描いた、覚醒剤中毒にあえぐ弟の姿におののいたからだけではない。奥付の著者経歴欄に1984年早大法卒とあったからだ。──俺と同級生じゃねえか!

当時の法学部はひと学年に千人以上いた。語学のクラス分けで別々になると、サークルやゼミで一緒にならない限り、同級とは分からない。しかも豊が新宿「ルイード」でデビューするのは、われわれが大学を卒業したまさにその月だった。

縁という御大層なものとはかけ離れてはいるものの、40年前早稲田キャンパス8号館の講義室で、尾崎豊の兄と同じ憲法や刑法の講義を聴いていたかもしれぬと思うと、フォークロックと呼ばれた尾崎の音楽の調べが、より耳のそばで聴こえる気がする。

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現役高校生アーティストとしてデビュー

縁といえば、私の末弟は尾崎豊のデビュー当時からのファンだった。

尾崎家の兄弟の年齢差(5年)が小出家のそれと同じなのは偶然だが、1967年早生まれのうちの弟は、いわゆる校内暴力全盛期に中学時代を過ごした。

TBSテレビドラマ「3年B組金八先生」で荒れる学校がテーマとなったのがこのころ。管理教育からこぼれる生徒を表した「腐ったみかん」はその後、四流大学でうずくまる学生たちを描いた「ふぞろいの林檎(りんご)たち」に引き継がれていく。

私の弟は実家で父親との確執に飽いていた。

「つべこべ言わずに、親の言うことを聞けという態度が透けて見えた。大人はどうして間違いを認めないんだと、あのころは心底おもった」

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