527 民俗学者宮本常一は「天保の大飢饉」の伝承を書き留めている。 現在の青森県のあたりの人がまず生活に困り、南へ移動していった。盛岡付近まで来ると先には行けなくなり、そこへ落ち着く。その地域の人々も食べることができないので、南へ南へと移動し、南部藩から仙台藩へ入っていった。 仙台藩の人々もまた南へ移動していた。家も何もそのまま残っているのでその中に入って住む。空っぽの中へ順に入っていく、そういう移動がみられた。 自分の藩では食えないから隣りの藩へ逃げていく。隣りの藩の人たちもその隣りへ逃げていく。そのような状態が繰り返されていたとみられる。宮本はこういった現象を「ヤドカリと同じだ」と表現している。 匿名さん2024/05/06 07:29
528 難民は最終的に、関東平野へなだれを打って流入した。しかし関東の人々は移動していないので、彼らは「乞食」にならざるをえない。若者たちは下男になり、どこかの町や村へ入り込み、暮らしを立てたのが実状だったようである。 前近代の社会では、為政者による過酷な政策が、飢饉をいっそう激しくした。直接生産者に対する租税の収奪が厳しく、交通手段も未発達で、遠隔地への物資の輸送も困難だったため、凶作に襲われると食糧不足をまねき、飢饉を発生させることとなった。また藩主らの利害対立による食糧の輸送禁止が、飢饉をさらに激化させた。 飢饉は人災の側面も大きく、難民たちは為政者の政策の被害者だった。 匿名さん2024/05/06 07:30
531 ある中国の富裕層の知人から、「一人っ子の息子が東京の日本語学校に入るのでよろしく頼む」と連絡が来た。それで来日した18歳の息子氏を連れ、日本語学校近くの不動産屋へ行った 中国人留学生が部屋を借りるのは大変だろうと思いながら窓口へ座ると、不動産屋が出してきた物件案内の文字が全て中国語なのにビックリ 「中国人はケチケチしないので、いまや日本人より歓迎されるくらいなんです」 不動産屋のスタッフが耳打ちする たしかに息子氏は、いくつかの部屋の間取りと家賃とを見比べていたが、ふと中国語で私にささやいた 「東京の家賃は、なぜこんなに安いんですか?まだ来て数日だけど、東京の物価も想像していたより全然安い」 高額の3物件を一応見たいというので一緒に回った。どれも記者の学生時代には考えられない豪邸だが、「意外と狭いな」「警備がゆるいな」などとボヤく いつしかこっちの方がしょげてきた だが息子氏、部屋を決めた後、ようやく笑顔を見せた 「中国と一番違うと思ったのは、不動産屋の態度です。あのような懇切丁寧な接客は中国では受けられない。やはり日本へ来てよかったです」 週刊現代5月11日号より 匿名さん2024/05/06 11:33
535 昔の日本人は馬鹿だったのか? 太平洋戦争末期、首都東京が何百機もの爆撃機により大空襲をうけ、あたり一面焼け野原になっても降伏せず、徹底抗戦した。その後の顛末はご承知のとおり。 そんなことってあるか? 軍、政府、文化、経済、の中枢である首都の空が敵の爆撃機により埋め尽くされて焼け野原になっても徹底抗戦? 人間の頭と両腕がぶっ飛んでも、たかが頭と両腕くらいだ、と、さらに戦おうとする戦士はいない。 その時点で既に敗北確定。 援軍がくるまで持ち堪える道があるならともかく、本土の制空権を失っても地上戦に持ち込んで勝てるとでも思っていたのか?それとも本気で一億総玉砕する気だったのか? いずれにせよ、馬鹿げた考えだ。 時はたち、今の世の中、核兵器をもったもん勝ちの世の中になった。 匿名さん2024/05/11 09:591